2014年8月13日水曜日

糖尿病と付き合う。家族が同じ方向を見るということの大切さ・・・

以前、「江部診療所に通院

というブログをアップしました。

江部診療所に初診初めて診察で訪れた際に、妻、母親が同行してくれました。
初めてお会いした江部先生に、妻、母親が持参した糖質制限食に関する質問メモをもとに、江部先生を質問攻めにしたんですよ(笑)

ブログを始めて数ヶ月たちます。
毎日大勢の方がブログを読みに来てくれています。
実は、妻もブログ読者の一人です。

先日、妻と話をした時に上記のブログの内容が話題になりました。

「あの時の質問メモまだ持ってたの?」
と妻が聞いてきたので、
「療養中の記録、メモは全部捨てずに保管してるよ。

と答えました

その後、妻が感慨深げに、
「あの時(僕が退院した直後)は、腫物に触るように僕に接していた。

「血糖値が上がらないように、毎日緊張感を持って食事を作っていた。」

「スーパーで売っているような出来合い物や惣菜は使えない。何故ならば、成分表を見たらブドウ糖や砂糖、みりんが含まれているから。出来あい物や惣菜が使えないという事は、食事を作る際に手抜きが出来なかった。」

「僕の血糖値が少しでも上がっていたら、血糖値が上がる食事を作ったということに対して罪悪感を感じていた。」
と言い、続けて、
「毎日、死にもの狂いだった。」

と、いう事を話してくれました。

僕は糖尿病を患っている当事者で、大げさな言い方ですが糖尿病と闘っています。
それは糖尿病が良くなった今もです。
現に糖質制限食をずっと継続しています。

今までは、糖尿病の事は病気になった本人しか分からない、本人だけが苦しい思いをしている、などと思っておりました。
しかし、その考え方は間違いで、妻も母親も、カロリー制限食、糖質制限食、糖尿病、糖尿病合併症と真剣に向き合っていて、それこそ僕と一緒に戦っていてくれていたんだなぁっと感謝しました。
いや、もしかすると僕以上に真剣に取り組んでいたのかもしれません。
こう言い方は良くないのは自覚していますが、安易にカロリー制限食を勧める病院の栄養士よりは、妻、母親は、常に当事者意識、緊張感を持って勉強していたんだと思います。

僕が入院した直後、妻と母親、お義母さんは必死にカロリー制限食の勉強をしたと言います。
しかし、突然、僕が「糖質制限食」をすると言い出したわけです。
妻、母親、20数年前に妊娠糖尿を患ったお義母さんでさえ、糖質制限食という言葉を今まで聞いたこともなかったわけです。
入院している地元の病院の食事療法を行わないという事も心配だったと言います。

僕は自己責任で糖質制限食を実行して糖尿病が良くなったと思い込んでいましたが、そうではなくて家族の協力、または「家族が同じ方向を見る」事が大事だったということを上記にある妻の言葉で思い知らされました。

江部先生、江部診療所のスタッフの方が、僕の血糖測定の記録、血液検査の結果を見ながら、
「家族に感謝しないといけない」
というような事を常におっしゃいます。
江部診療所の方達がおっしゃられる通りだと思います。

病気というものはきっかけに過ぎない。
何のきっかけか・・・
それは、僕の場合は、家族が一つにまとまる、家族が同じ方向を見るということだったと思います。
家族が一つにまとまるということが重要であって、糖尿病が良くなるということは二の次です(笑)

僕の場合は、カロリー制限食で血糖値が下がらないから、糖質制限食にたどり着いたわけです。
もし糖質制限食で良くならなかったらまた別の治療法を探し、家族と一緒に考えればいいだけなので。
ただ、糖質制限食や血糖値を下げる理屈を知っていても家族の協力がなければ、糖尿病はここまで良くならなかったと思います。
あくまでも僕の場合です。

完璧にきれいごとの羅列ですが、心底そう思います。


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